「プロの声優」という言葉に覚える違和感。職業声優や養成所といった既存システムは廃止すべき。

スポンサードリンク

こんにちは、ワタリ(@watari_ww)です。

今回の記事は「声優の存在意義とこれから」を自分なりに考えてみましたので、文としてまとめてみました。
job_seiyu_ikebo

 

声優という職は必要なのか
自分は子供の頃から、身近にある職業がなぜ存在するのか?という疑問を投げかけたことがよくあります。

 

おまわりさん、先生、サラリーマン、運転士…思えば幼少期に意識する職業はせいぜいこのくらいでした。

 

学校に行くのが嫌いだった自分にとって先生は必要ないし、サラリーマンはなんだか楽しそうじゃない(自分は年休365日欲しい人間です)し、バスに乗った時の運転士なんかも「大人になれば誰でも運転できるじゃん」程度にしか考えられなかったのです。

 

子供の頃は、その職業の成り立ちや業界が経済において果たす役割について無関心であるが故に、見たままの感想を述べてしまうものです。

 

経済学の基本的な知識を身につけ、人々が分担して役割を遂行している社会の流れをある程度感じた今となっては、上のような感想や印象を抱くことはなくなりました。

 

どんな職業も存在・存続する時点で世の中から必要とされています。「仕事に貴賎はない」とはよく言ったもので、水商売だろうと金を払う人がいる以上、需要があるということ。その点では、でかい箱に人をいっぱい呼び込むスーパースターと水商売にも差異はないのです。どちらもお金を落とす人がいるから商売は成り立っています。

 

ただ、これらの前提を踏まえた上で、自分は日本に「声優」という職業が俳優とは区分されて存在している意義をいまいち感じられません

というのも、海外では確たる職業声優があまりメジャーな存在感を持っておらず、ディズニー、ピクサー、ドリームワークスといった代表的なアニメーション会社の作品では、普段顔出しで活動している俳優がキャスティングされているのが常です。

 

一応、ウィキペディアで検索をかけてみると人物説明の欄には「声優」と書かれている海外の俳優もいます。しかし、経歴を追ってみると歌手や舞台俳優を兼業していたり、元は俳優だったのが結果として声の仕事に比重を増しているだけ、といった経歴が実情のようです。声優専門の養成所や事務所が日本ほど浸透しているわけでもありません。

 

日本においても、かの宮崎駿は「もののけ姫」以降の作品では、知名度のある著名人を起用する傾向が強まりました。今日ではアニメのCV(キャラクターヴォイス)や海外映画の吹き替えで非職業声優の声を耳にする機会は珍しくもなんともありません。
もののけ姫 [Blu-ray]
ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
2013-12-04

 

つまり、声優という職業はどうやら声優でもなくても務まるらしいのです。

スポンサードリンク


声優は資格職業ではない
非職業声優が起用された際には、日本では少なからず「プロの声優を使って」といった意見を耳にします。

 

ただ、一度立ち止まって考えると、そもそも「プロ」とは何だろう?と疑問が浮かんできます。

 

弁護士や医者であるならば国家試験、政治家ならば公正な選挙をパスし、確たる資格を身分証明書として持ちながら活動しています。上にあげた運転士にしてもバスを運転する免許証が必要になってきます。

 

しかし、声優という職業は資格要らずです。

 

極論を言ってしまえば
  • 声が出せる
  • 日本語(もしくは活動している国の言語)が話せる
  • 台本に書かれている台詞や指示を理解するために文字が読める
これらの条件さえ満たしてしまえば誰だって声優の仕事をすることは可能なのです。

 

だから、「プロの声優」の定義はハナから存在しません

 

「○○(著名人)が声優初挑戦!」といった見出しのニュースに対して、彼らを「アマチュア」とでも言いたげなコメントを目にしますが、そもそもアマとプロという二元論を展開することは不可能なのです

 

明確な基準がない以上、「プロかアマか」は観客それぞれの価値基準に左右されます。真反対の意見を持った人間同士が特定の声優を指して演技力の是非を語り始めたら、終わりなき水掛け論に突入することでしょう。

 

要するに、他人が下手だと言っても、自分は上手いと思えばそれまでの話なのです。客観的な実力など具体化・数値化できないからこそ、見た人それぞれの主観的評価で語るしかありません。

 

資格が無いというのは、声優業が鋳型にはめられる単純なものではないことを示してます。(もっともこれは、声優のみならず俳優や歌手などアーティスト全般に言えることです)
俳優ではなく声優を起用する意義
日本では、声優は俳優と隔てられ、独立した職業のように扱われている。しかし、声優になるための資格や基準といったものは存在しない。それがここまでの話でした。

 

では、何故声優というものが存在するのか。その意義を考えてみます。

 

声優として数多くの仕事をしてきた大塚明夫氏による「声優魂」を参考に見ていきます。

 

この本は全220ページ、5章仕立てです。

  • 1章『「声優になりたい」奴はバカである』では声優業界のリアルな実情
  • 2章『「演じ続ける」しか私に生きる道はなかった』では大塚明夫氏の略歴の振り返り
  • 3章『「声づくり」なんぞに励むボンクラどもへ』では声優の卵達に対する氏の手厳しい意見
  • 4章『「惚れられる役者」だけが知っている世界』では氏が今の立ち位置に上り詰めて感じた事や声優の在り方
  • 5章『「ゴール」よりも先に君が知るべきもの』では声優を目指す人たちと自身の将来
以上のことが書かれています。

 

声優に詳しくないという人も一度は声を耳にしたことがあろう大塚明夫氏が、逃げを打つことなく率直な言葉で声優の世界について述べており、読んでいるこっちまで身が引き締まる本です。甘い幻想を抱く声優志望者はこれを読めば、目が覚めることでしょう。

 

さて、「声優の存在意義」に話を戻します。

 

この本の中では声優の起こりとして、古くに舞台俳優などの端くれが副業的にラジオや海外作品の吹き替えで声の芝居をこなしていたことが説明されています。ラジオやテレビの台頭が、従来の舞台芝居とは異なるラジオドラマやテレビアニメといった「声の芝居が必要とされるメディア」を生み、それを担当していた役者達が今の声優になったという経緯です。

 

こうしてみると、声優は歴史的に見て全く新しいアーティストです。最近ではスマートフォンの普及に後押しされ、動画投稿サイトのYouTubeで沢山の視聴を獲得して、広告で稼ぎを出すYouTuberが認知されてきましたが、プリミティブな役者と比較すると、声優だって最近出てきた演劇手法に違いありません。

 

自分が注目したのは、「声優業は本業で食いっぱぐれていた新劇の舞台俳優や売れないタレントを引っ張ってきて始まったもの」とされている部分です。これはテレビに対するYouTubeと同じで、従来型のプロ(売れっ子俳優)がカバーしきれない領域を、セミプロや半プロの人たちがやっている構造になっています。最近では、テレビに出演した経験のあるれっきとしたタレントがYouTubeにチャンネルを開設していることがありますが、こうした新しい形の仕事は従来型のプロも手を出そうと思えば出せる領域ではあります。

 

しかし、専業のYouTuberがチャレンジングな動画を投稿したり、高頻度でクオリティの高い動画を作ることが出来る一方で、兼業的にやっているタレントはそうした事に時間を割くことが出来ないのは明らかです。もっと時間を割かねばならない本業が存在する以上、副業は優先順位が下がってしまいます。

 

ズバリ、このロジックが声優の存在意義に繋がっています。誤解を恐れずに言わせていただくと、技能的な問題から声優が必要とされているわけではなく、俳優業にとって優先順位の低い仕事を引き受ける人たちが声優なのです。

 

俳優は限られた時間を映画やテレビでの活動に費やし、声優は声の仕事に費やしています。お芝居全般のうちの「声」の部分に多くの時間を捧げているのが声優であり、声優が仕事をしているおかげで、俳優は俳優活動に時間を投じることが可能になっています。

 

俳優と声優の分業体制は、資本としての時間の合理的活用を可能にしていると言えるでしょう。そういう意味で「声優は(俳優の)裏方職業である」と言ってもいいかもしれません。

スポンサードリンク


声優は俳優の仕事のひとつ
先述したように、声優は俳優が手を出さない声の仕事を専ら引き受けて報酬を得ています。

 

しばしば声優の待遇が取り沙汰される時に、その報酬が低いという話をよく耳にします。

 

大塚明夫氏の「声優魂」関智一氏の「声優に死す」でも、そうした経済事情は書かれています。
まとめると、
  • 給料は歩合制
  • ギャラは作品の長さが基準であり、実働時間や台詞量がいくら多くても原則ギャラは変わらない
  • 30分アニメの収録は新人なら1万5千円、キャリアを積んでいくと千円単位で増えていく
  • 出演作がソフト化や二次利用で転用された時にも転用料としてギャラは生じる
となっています。

 

仮に新人声優が1クール(3ヶ月)全12話のアニメに主演でキャストされたとして、1万5千円×12回=18万円の報酬。転用料を足すと、合計43万円ほどになるそうです。

 

はっきり言って主役一本では夢のある数字にはなりません。3ヶ月で43万円(手取りはより少ないはず)なら、フリーターのアルバイト収入でも頑張れば到達できるぐらいですよね。そもそも主役を得られるかって話でもありますし、定期的に割りのいい仕事を得ていないと声優一筋では生活すらままならないでしょう。

 

じゃあせめて売れっ子声優はリッチなんじゃないか?と思いたいところですが、大塚明夫氏の知るところで最も高いギャラのランクは仕事一本につき4万5千円程度だそうです。馬車馬のように働いたところで、声優業の稼ぎはたかが知れている…厳しい言い方になりますが、どうもそのようです。氏も著書で「儲からないよ」とはっきり断言なさっています。

 

起業で成功したとか、YouTuberで人気トップに上り詰めたとか、それこそ俳優として大作映画に主演したとなると一生の生活が保障されるような莫大な報酬を得ることが出来るようですが、声優はそういったものとは無縁のようです。

 

でも、これは仕方ありません。声優は俳優がやり切れない仕事を引き受けて出来た仕事であり、前項「資格職業ではない」に書いた通り、簡単な条件さえ満たせば誰でも手を出せてしまえるものなのです。経済学上は、付加価値の高い商品やサービスを提供した人には高い給料が得られるとされています。極論言ってしまえば、声優は資格や教育を受けなくても出来る仕事とされているため、高い付加価値を生んでいるとはみなされないのです。

 

大塚明夫氏や関智一氏のようなベテランや実力派の方々が生計を立てられているのは、条件を満たした人たちの中でも高く評価されているアッパークラスであり、仕事を沢山受けているからです。30分アニメ一本分の報酬数万程度ではとても生活はできないけれど、高い競争力で数多くの仕事を受けているから成立しているに過ぎません。

 

「声優魂」では大塚氏ほどの方であっても住宅ローンの返済をしており、そもそも声優はローンを組めない人が大半であるとも書かれています。声優という職業の社会的な地位は、極めて低いところにあることがわかります。

 

純粋に声優の仕事のみで食べていけるのは300人程度と聞いたこともありますが、誰でも出来る仕事だからこそ競争が苛烈になっているのが現状のようです。いくらアニメの制作数やボイス搭載のゲームが増えても、声優の志望者数がその数を圧倒的に上回ってしまうために、少ない獲物を大勢が奪い合う構造になっています。そこで仕事を得るには、単に実力だけではなく時の運も大いに関係してくるでしょうし、得られた所で報酬の天井はあまり高くは無いというのだから、これは不満に思われるのも当然に見えます。

 

しかし、繰り返しになりますが、声優業は、俳優がやろうと思えば出来る仕事であるため、それ単体で生活を成り立たせるのが難しいのは妥当なのです

 

俳優は声優を包括した職である一方で、声だけを専門にしている人をテレビや映画に転用する流れはあまりないです。単純にスター性や知名度といった点で大手メディアのプロデューサー等に難色を示されてしまうのかもしれませんし、業界のルールや慣習のせいかもしれませんが、とにかく声の仕事一筋の職業声優はとても狭いフィールドで付加価値が高くはない仕事をしているだけなので、声優の地位向上を望むのはおそらく筋が通らないでしょう。

 

対照的に、俳優が声優をする時には数万円どころでは済まない報酬を得ていることかと思われます。これは俳優が高い付加価値(多くはその人に乗っかった宣伝効果)を生み出せるからです。

スポンサードリンク

スポンサードリンク


 

いっそ分業体制を崩壊させたらどうか?声優の養成所は要らない

ここまで、分業体制の上で成り立っている声優業の存在意義について語ってきました。

見返してみると、やけに厳しいことばかりを書いてしまったように思います。しかし、まずはこうした背景を踏まえてから、自分の意見を書きたかったのです。

以下、「声優はこれからどうなるのか」について自分なりに考えてみました。

声優をさす厳密な定義はなく、身分を保証する資格があるわけでもない。メジャーな俳優がこぼした仕事を引き受ける人々が声優と呼ばれるようになり、そのため声優は俳優に包括される概念です。
せいゆ

一口に俳優業といっても色々ありますよね。舞台俳優、ミュージカル俳優、映画俳優、アクション俳優、VTR俳優、2.5次元ミュージカル俳優等。声優はその数多くあるカテゴリのうちのひとつだという考え方が今まで浸透してきたものです。

最近では、歌手業を営んでいたり、朝の番組でテレビ出演をしているような声優方も出てきましたが、それでもまだまだ声優業界を囲い、他業種との間を隔てる壁のようなものは存在するように感じます。

その壁を取り払うためには、声優の専門学校や養成所をなくしてしまえばいいと思います。

「声優 なるには」とかのワードをGoogleで検索するとほぼ確実に推奨されているのが、その類の養成機関です。一般に声優になるためには、願書などの手続きをし、入所試験をパスして、養成所に入り、そこで好成績を残して、事務所へと所属…というルートがオーソドックスとされています。

しかし、ここには物凄いツッコミどころがありますよね。ここまで読んでこられた方にはわかることと思います。

そもそも声優になるための専門技能などありません。資格もありません。声優の起源は俳優です。これらの養成所でしか学べないことなんて本当はないはずです。

参考に挙げた大塚明夫氏は、(亡父の大塚周夫氏のつてはあったようですが)所謂養成所を抜きに事務所に所属する経路を辿っていますし、ドラゴンボールの孫悟空役で有名な野沢雅子氏にしても元は劇団で経験を積まれていた方です。そもそも、あの世代の声優方が過ごしてきた時代に声優の養成所などというものは無かったし、「声優のなり方」なんて物も定型化されていませんでした。

声優の志望者が増えた結果、その需要に応えるべく事務所がビジネスとして養成所を立ち上げ、こうしたルートが流布されたのです。この考え方が広まった結果として、まるで声優を確たる職業とみなす向きも強まったのでしょうが、先述した通り声優はとても厳しい地位にあり、就職のようなルートは幻想に過ぎません。

声優の仕事がしたいのであれば、オーディションに受かるだとか、コネクションでキャスティングしてもらうだとか、他の分野で有名になってゲスト声優として呼んでもらうといったものも考えられますよね。「~しなければならない」「~であるべきだ」といった堅い思考を取っ払う上で、こうした養成機関はどうも邪魔になってくような気がしてなりません。

大事なことなので力点を置いて言いますが、「声優」とは身分でもなんでもありません。ただの後付け概念です。だから、業界をもっと柔軟に変えていくべきだと思います。

小説家の村上春樹氏は、小説を書き始めたのが20代後半で、ふと思いついて筆を執り始めたそうです。彼は「職業としての小説家」において、以下のことを述べています。

職業領域における排他性ということに関していえば―簡単に言えば「縄張り」意識についていえばということですが―小説家くらい広い心を持ち、寛容さを発揮する人種はほかにちょっといないのではないかという気がします。そしてそれは小説家が共通して持っている、どちらかといえば数少ない美点のひとつではあるまいかと、僕は常々考えています。
(中略)
仮にある小説家が歌がうまくて、歌手としてデビューしたとします。あるいは絵心があって、画家として作品を発表し始めたとします。その作家はまず間違いなく、行く先々で少なからぬ抵抗を受け、また揶揄嘲笑の類を浴びせられることになるでしょう。

村上春樹著「職業としての小説家」P10~11より引用

小説は紛れもなく「書こうと思えば誰でも書ける」ものです。彼が言っているように、物書きは参入が容易であり、芸能人やビジネスパーソン、あるいはブロガーやメルマガ配信者といった多種多様な人種によって常に出版・発表され続けている分野です。決まりきった資格やメソッドも存在しないため、自由に自分の意見や感想、フィクションなどの想像を書き連ねることができます。

書いてみると、声優と全く同じことが言えるのではないでしょうか。散々上に述べてきたように、日本語が話せて、文字が読めれば声優はできます。敷居は間違いなく低い。

しかし、小説家ないし物書きに比べると、「プロの声優」という言い方が存在していたり、まだまだアニメやゲームでは専業の声優が多くを占め、声優養成所なんてものが入り口として幅を利かせている状態です。これでは多様性が確保できないのでは?と心配になります。

自分が思いついた案としては、職業声優は今食べていけているレベルの人だけ残して、後は時機に応じて他の業界から人材を引っ張ってお芝居をしてもらうというのが良いと思います。養成機関を経ても食べていけないレベルの人が慢性的に発生するような業界のままにしておくのではなく、今流行りの歌手だとかYouTuberだとかアイドルだとかで演技が出来る人をリクルートしてくる手法であれば、声優の世界もより多様になり、見る側だって楽しくなるのではないでしょうか。「声優になる」ことを目的化している人たちよりも、違う世界で活躍してきた人を集めた方が彩は豊かになり、競争も「オーディエンスを楽しませるため」という健全な方向で激化する気もします。
3

声優を目指す若者たちには大人に使い捨てられてしまったり、搾取されてしまう人が数多くいるそうですが、「声優になるルート」を規定せず、もっとオープンに人を寄せ集めるようにすれば、そういった人もいなくなるとも思います。

声優というものを職業としてみるのではなく、ひとつの活動の場として、様々な面白い人が集まるようにすると、もっと夢は広がっていくんじゃないかということですね。必要のない閉塞感や不条理な競争はどんどん改善していくのが良いです。

まとめ

声優というものをやたらと他と区別して語るのは、もうやめにしないか?という意識が自分の中にありましたので、こうして形にしてみました。

声優になるために明確な基準がないというその曖昧さを、間口の広さと捉えて、いろいろな人が活躍してくれたらいいなぁと思います

自分は宮崎駿監督の「風立ちぬ」における庵野秀明氏の演技や「ぼくの名前はズッキーニ」の子供たちの素朴な声がすっごく好きで、今も耳に残っています。

風立ちぬ [Blu-ray]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2014-06-18



ピクサーの「トイ・ストーリー」の唐沢寿明氏のジェントルボイスも子供の頃から親しんできました。

 

アタマを堅くしないで、この人が声優をやったら面白い!というアイデアがどんどん実現してくれたら、アニメの制作方法も企画も多様になっていくと考えています。多様になった社会では、埋もれていた誰かの能力にスポットライトがあたったり、好きなことを突き詰めた結果としてその人の能力が効率的に活用されることで、世の中全体が上向いていくものだと信じています

あくまで自分がこうだと思ったことを書き留めただけなので、これを正解だとは思わず、ひとつの考え方として受け取ってくだされば幸いです

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

大塚明夫の声優塾 (星海社新書)
大塚 明夫
講談社
2016-06-24

 

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です